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中国残留孤児訴訟:地裁で原告敗訴(その2止) ほんろうされ続けた人生 /広島

■歴史があるのにモダンな表情。100年使える環境にやさしい箪笥。伊達藩伝統の仙台箪笥■仙台箪...
 ◇原告4人体験語る
 帰国後の自立支援策が不十分などとして国家賠償訴訟を起こした中国残留孤児。戦後中国に残されたばかりに人生をほんろうされ、困難に直面した原告にとっての願いは「日本人として普通の暮らし」だ。ささやかな願いも実現できず、失意の思いで訴訟を起こした原告のうち、4人の体験を紹介する。【下原知広】
 ◇希望の祖国に傷つき--吉野正雄さん(63)=安佐北区
 大きな希望を抱いて祖国に戻ったのに体や心に傷を負っただけだった。原告副団長の吉野正雄さん(63)=安佐北区=は悔しさをにじませた。
 出自を知ったのは74年。中国共産党への入党を不許可とされ、日本人と知らされた。
 遼寧省の瀋陽で暮らしていた養父母に、養子になった経緯を聞いた。養父はなかなか口を開かなかったが養母が重い口を開いた。
 瀋陽の駅で骨と皮の状態で捨てられていた吉野さんは当時3歳。衰弱して目は見えず、歩くことさえ困難だった。養母は周囲から「こんな子を連れてきて」と言われたが「病気を治して必ず育てる」と引き取り、苦しい生活の中、大学まで進学させてくれた。実の両親は不明。話を聞き、養父母に心から感謝した。
 養父が亡くなった後、90年に妻や子どもと帰国。養母は一緒に日本に来るのを拒んだ。吉野さんは広島の職業安定所で仕事を探し、92年から溶接工として働いた。しかし、今年1月、事故で左手人差し指を切断。その影響で左手ははれ、今も動かないままだ。
 日本人として戻ったはずの祖国には失望するばかり。言葉や経済的な問題を解決しようと政府に苦情を言っても聞き入れてもらえない。「こんな境遇に追い込んだ日本政府は謝罪して当然」
 ◇帰国しても「指さされ」--金山俊江さん(63)=中区
 「中国では『小日本鬼子』と侮辱、日本に帰れば中国人と指さされる。不愉快です」。金山俊江さん(63)=中区=は強い口調で語った。
 1944年、母や兄と中国・黒竜江省に渡り、既に中国にいた父と一緒に生活。父は終戦後シベリアで捕虜となり、その後帰国。母は46年10月、天然痘にかかった幼い金山さんを、生きて連れて帰れる保証はないと考え、金山さんを養父母に預けて兄と帰国した。
 小学校ではいじめられた。中学校では、祖父母を日本人に殺された女性教師から「銃があったら日本の鬼を殺してやる」とも言われた。

養母に言うと「あなたは日本人じゃない。私が産んだ」と言った。
 日中国交正常化後の78年ごろ、養母から実母の手紙を受け取り、養女になった経緯を知った。実母は帰国する際、生年月日や日本名のメモを渡していた。
 永住帰国したのは98年。父母がいる広島で生活したが、日本語が不自由で就職先は見つからず、生活保護を受けた。一緒に帰国した中国人の夫は05年に交通事故に遭い体が不自由に。賠償金を受け取ったが、賠償額の中から1年分の生活保護費をカットされた。不合理だと悔しかった。
 「私たちの日常にもっと目を向けてほしい。そうすれば今、国は何をすべきか分かるはずです」
 ◇子らまで貧窮の暮らし--丸山三子さん(70)=安佐北区
 「働きづめで体はボロボロ。服も買ったことがない」。丸山三子さん(70)=安佐北区=は淡々と話した。
 3歳で両親や兄、姉、弟の計6人で中国に渡った。父は終戦直前に旧ソ連で死亡。母も戦後間もなく亡くなった。凍った鉄帽子を火にかけて水を飲み、カビの生えた大豆を食べて飢えをしのいだ。養父母に救われたが地獄のような日々だった。明け方から日が沈むまで働いた。養父に何度も殴られ、失神したことも。「死にたい。なぜ私だけこんな苦しい思いを……」。近くに住む姉は「逃げなさい」と言ったが逃げ場もなかった。「親が生きていれば」。隠れて泣いた。
 転機は15歳。知人の紹介で日本人孤児だった夫(71)と結婚。畑仕事をしながら生活した。65年、先に帰国した兄を頼りに来日。夫と4人の子どもを連れて兄の待つ広島市へ。
 しかし、就職先は見つからず、妊娠7カ月だったが生活のために中絶した。夫は体調を崩し、家計は丸山さんの肩にのしかかった。
 内職などで生計を立てたが、田んぼの水草を取って食べたことも。洗濯は太田川で済ませた。
 帰国後40年あまりになるが日本語は読めない。「もっと早く帰国できれば、子どもにもう少しいい暮らしをさせられたのに……」と目を伏せた。
 ◇「二度と侮辱受けたくない」--菅野賢恵さん(68)=中区
 「鉄砲かついだ兵隊さん、足並みそろえて歩いてる」。菅野賢恵さん(68)=中区=は幼いころ覚えた歌を口ずさんだ。昔のことを思い出すと自然に口をついて出る。
 終戦を迎え、遼寧省丹東で船長をしていた養父に引き取られた。実の両親は行方不明だ。周りの子どもからつばを吐きかけられ殴られた。養父は日本語を話せたため、スパイ容疑をかけられ殴り殺された。預かってくれた養父の同僚夫婦も「売国奴」扱いされ死亡。養母の元に戻り、9歳で繊維工場で働き始めた。
 58年にゴム工場で働いていたころ、「外国と密通している」と言われ、目隠しされ麻袋に入れられて川に放り込まれた。助かったが、文化大革命のころは、荷車に乗せられて町中を引き回しにされた。群集の中で台の上に立たされ、ムチで打たれ、口々に罵倒されて意識を失った。その後は、物乞いをしながら流浪の生活を送った。
 「二度と侮辱を受けたくない」。90年3月に夫や娘と帰国。鹿児島県で清掃作業をしたが、日本語がうまく話せず嫌がらせを受ける日々。93年1月、娘がいる広島に転居した。今は生活保護を受けている。
 「残留孤児の生活はみな同じ。私たちのことを理解してほしい」。目に涙を浮かべながら繰り返した。

4月26日朝刊
(引用 yahooニュース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000156-mailo-l34)


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2007年05月04日 未分類 トラックバック:0 コメント:0












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